名を問うほかに能がなかった
高橋金三郎(1973)『授業と科学』、p.151.むぎ書房.
私はかつて幼椎園の2児を近郊に伴った。彼らは“みやこぐさ”の花に注意を引かれたが,その名を問うほかに能がなかった。当時,私どもの菜園には,同じ豆科の“えんどう”の花が咲いていたので,私は名を教えるかわりに,その花を持って帰り,おうちでそれによく似た花を見出すようにと指導した。彼らが帰宅後両者の類似を見出した時には,小さいながらも自力に基づく新発見の喜びに燃えた。やがて一人は“みやこぐさ”について,“これにもお豆がなるのか”と尋ねた。それは誰にも教えられない独創的な質問であった。私はそれにも答えず,次の日曜に彼等に現場で確かめることを提案した。彼等がそこに小さな“お豆”を見出した時,そこには自分の推理の当たった喜びがあった。秋が来た。庭には萩の花が咲いた。彼らが萩にも豆のなることを予測した。彼らは過去の経験から,いかなる花に豆がなるかを自主的に知り,その推論を独創的にまだ見ぬ世界に及ぼしたのである。
(渡辺万次郎「科学技術と理科教育」『理科の教育』Vol.8,No.11)
…わたしの仲間たちも使っているのかな…
書かれている幼稚園の2児の発言はもちろんのこと、悪い引用の例としても。
研究論文では、「まご引き」をしてはいけないのです。あくまでも直接引用。
つまり、この文章は、渡辺万次郎さんの文章なのですね。
でも、渡辺万次郎さんの著作物は手元にない、手元にあるのは高橋金三郎さんが渡辺万次郎さんを引用した本である。
それじゃ、だめよん、ということをまず示すのですな。
渡辺万次郎さんの著作物、発行年もないし、当該文章が掲載されているページもない。
これでは、他の人が探そうにも、たどり着けない…
これは、駄目なのです。
なんか、大学の先生っぽ~い。
それはさておき。
書かれている幼稚園の2児ですな。
渡辺万次郎さん、幼稚園の2児について、「みやこぐさ」の花に注意を引かれたが、
その名を問うほかに能がなかった
と、表現しているのですよ。
要するに、植物の名前を聞くやつぁ~、能無しだ、ということですな。
ぎゃっ、きつっ
この、ランボーもの!
で、まぁ。
わたしの研究室には、観葉植物が繁茂していて…とはいえ、うつ病なので家から出られず、ずいぶんと枯らして減りました…さらには、植物の写真を撮っていたりするので、大勘違いされます。
「この花、なんですかぁ?」
そんな時には、もちろん、心の中で、この能無しめ、と、つぶやき、
どこでとってきたの?
どこで見たの?
と、優しく聞いてみます。
浜で取れたなら、ハマタンポポ
姿がちんまりしてかわいかったら、ヒメタンポポ
とげとげしてたら、オニタンポポ
極めつけは、タンポポモドキ、タンポポソウ、カラスタンポポ、スズメタンポポ、チドリタンポポ、タヌキタンポポ、タンポポグサ、オタンポポ、メタンポポ、マンネンタンポポ、ヤエタンポポ、タチタンポポ、シバタンポポ、チチタンポポ、ハハタンポポ、ヨメタンポポ…
出てくる、でてくる…
ばっかね~
結局、我々がわかるのって、「属」の名前でしかないのですよね~
タンポポと、ブタナやジシバリの区別もできなかったりするのです。
それよりも、幼稚園の2児のように、これとあれは同じ仲間、かも、と、言える方がずっといい。
タンポポもヒマワリもキク科じゃっ
乱暴過ぎますかねぇ~
そうね、はい…
でもね。
同じ仲間なのに、ヒマワリには綿毛ができない…
ヒマワリに綿毛ができたら、たのしいよね~
とか。
思いを馳せたいのですなぁ~
そうそう、園芸種は、苦手。
やたらとカタカナが長いし…覚えられないし…
「エビネ」と言えばいいのに、カランセ、とか、カランテ、とか…
学名(ラテン語)をカタカナ表記してそのままって場合が多いんじゃないかな~
病院の待合室で「趣味の園芸」なんて読んでいると、頭痛がしてくる。
で、また、学生たちをからかいたくなるのですな。
ぐはは。